黌辞苑

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スタッフのつぶやき

広報スタッフのつぶやき

2022.11.08

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済々黌同総会 幹事長
中村俊雄(S44年卒)

済々黌創立140周年記念事業の一つである「済々黌の歴史紹介」事業について、どういうものになるか、正直不安もありました。しかし、打ち合わせが進むうちに、歴史紹介チームの眞藤リーダーの済々黌に対する熱い思いがひしひしと伝わってきました。過去にも創立百周年の記念事業や、130周年の記念事業において、その当時の有志の方々により、素晴らしい記念誌が編纂されていました。

今回の済々黌の歴史紹介チームは、これまでと視点を変え、「創始者佐々友房」や「三綱領」について、深堀しています。「生徒たちとの座談会」では、済々黌に対する今の高校2年生の考えを、垣間見ることが出来ます。「同窓生のコラム」においても、ほんの一部の方ではありますが、当時の学黌生活が生き生きと表現されています。同窓生の方々には、自分の学黌生活を思い出して懐かしんでいただけるものと思います。それぞれの項目において、済々黌の教職員や在黌生及び同窓生においても、興味あるものになっていると思います。

また、将来済々黌を目指す中学生やその保護者にも、済々黌とはどういう学校かを知る良い教材になると思います。ボリュームがありますので大変ですが、最後まであきらめずに読み進めてください。

読み終わった後の、若干の疲労感と充実感を味わってください。このサイトは、創立150周年まで継続し、内容あるものにしていく予定です。一度読んだから、もういいよと思わずに、内容が充実していくことを確認していただけたら嬉しいです。最後に、この「黌辞苑(序)」の編纂に携わっていただきました多くの皆様に、感謝申し上げます。

140周年記念事業プロジェクトリーダー 
成尾雅貴(S52年卒)

2018年の東京同窓会で野口会長と相席し、後日多士会館ボランティアで再会してしまったのがご縁で今回お引き受けすることになりました。

周年事業の企画案募集の際、これに応えて、記念誌を、済々黌の紹介を、との案が出て参りましたが、提案者が求めているのは、母校の公式記録の紹介ではないはずだと(そちらについては、厚さ10センチ余りの100周年記念誌発刊以降、101年からは、毎年の母黌の詳細な記録を学校が作成し冊子にされて今日に至っており、多士会館にそろっています)。

多感な10代の日々をあの場所で過ごした、私たち一人ひとりの魂の叫び!は大袈裟ですが、内面の輝きの集大成とその発散こそが、求められているのではないかと、考えた次第です(勝手な解釈をお許しください)。

部活の日誌や高校生活の日常を切り取った写真などなど・・・これらを全てデジタルアーカイブスとして保存し公開できないか・・・。しかしながら、これは、一筋縄ではいきません。個人情報保護や著作権の解決など壁が高すぎました。

そのような中、「三綱領」に焦点を絞り、更にいくつかのエッセイを加えることで、これ読む同窓生一人ひとりの心の中に往時の自分を招き入れ対話するきっかけとし、進学を希望する中学生においては、まだ見ぬ高校生活への憧れを呼び起こすことができれば、一つの解となりはしないかと思った次第です。

タイトルは「黌辞苑」。140周年からスタートし、今後様々な課題を解決し、将来その名にふさわしいアーカイブスに成長することを期待しています。

この難題を快く引き受けてくれ、私の想像を超える出来栄えに仕上げてくれた眞藤隆次氏(S57年卒)は、私が教育実習で母黌を訪れた際の受け持ちクラスの生徒で、窓際の一番後ろの席に座っていたことを覚えています。以来40数年。長い付き合いになりました。彼無くして今回の企画の実現は難しかったと思います。また、彼の考えに共鳴し、ご協力いただいたメンバー諸先輩の皆様。心より御礼申し上げます。

「大義」について
白濱 裕(S46卒)

眞藤さんの献身的なご努力により、本サイトが立ち上がったことをスタッフの一人として(と言っても名前だけでしたが…)喜んでいます。単に母黌自慢の井戸端会議的なものではなく、黌史をたどりマンガや卒業生のエッセイを差し込んで、現役生徒の生の声も拾いながら、等身大の学校の「今」を伝えようとするコンセプトは斬新であり、とりわけ、「知の巨人」渡辺京二さんのインタビューがとれたことは僥倖でした。

スタッフによる座談会の中でも話題になりましたが、「三綱領」の中の、今日殆ど死語になりつつある「大義」について、本サイトにも収録されている歴代黌長先生の釈義などを読みながら色々と考えさせられました。

終戦直後、進駐軍が来校し、「大義」の意味を尋ねられた時、「グレイト・ソーシャル・サービス」と当意即妙に訳し、三綱領が廃止の憂き目を逃れたというエピソードは語り草になっています。戦後77年を経て、現在の生徒や卒業生に尋ねても、「大義」の概念自体を理解できる人は少ないのではないかと思います。もちろん、一瀬恭巳第17代黌長のように、「グレイト・ソーシャル・サービス」という翻訳は、社会への関わり⽅を述べたもので、「窮余の⼀策とはいえ意外に事の的を射ているのではないかと思われる」と、今日的な解釈をすることも可能です。しかし、五倫の中でも「君臣の義を以て最大とす」(木村弦雄第3代黌長)とあるように、原義を踏まえた上で初めて、多様な解釈も生きてくるのではないかと思います。木村黌長は、「君臣の義」を「大倫」と言い、「大倫を全うするため」には、他の四倫(孝悌や長幼の序など)は、「顧みるに暇非ざることあり」とまで言い切り、「君臣の義」が最も優先すべき「大義」である所以を説いています。

それにつけて思い出すのは三島由紀夫の文学上の師、国文学者の蓮田善明(T12卒)のご長男、故蓮田晶一氏(S24卒・慈恵病院名誉院長)から聞いたエピソードです。中学生の晶一氏が、父善明と一緒に風呂に入っていた時、「晶一、お前にとって一番大切なものは何か」と聞かれ、晶一氏は、当時欲しかったものや成績が上がることなどと答えたそうですが、善明は「それは国体だ」と遠くを見つめながらつぶやいたそうです。

善明は、明治9年の神風連の変で自決した石原運四郎の遺児で濟々黌で教鞭をとっていた石原醜男に教えを受け、烈士を祀る桜山神社に詣でたり、授業で廃刀令の話などを聞いたようです。善明はそのときのことを「私にはこの話がずっと、非常に清らかな、そして絶対動かせない或るものを、今日まで私に指し示すものとなっているのである。」と書いています(「神風連のこころ」)。「絶対動かせない或るもの」とは、「国体」あるいは「大義」と言い換えていいかもしれません。「君臣の義」を明らかにし「国体」を護ること。私は、濟々黌で石原醜男に受けた教えが、終戦時、南方ジョホールバールで、天皇を誹謗し通敵行為を疑われた上官を射殺し、直ちに自らも壮烈な自決を遂げた善明の最期の行動に、延いては愛弟子三島由紀夫の自衛隊市谷駐屯地への討ち入りに繋がっているのではないかと思っています。

 三島由紀夫は自決の年、「このまま行ったら「日本」はなくなってしまふのではないかといふ感を日増しに深くする。日本はなくなってその代わりに、無機質なからっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」(産経新聞夕刊)と、経済発展にうつつを抜かし、国家観を喪失した我が国の行く末を予言しましたが、三島も恩師蓮田善明と同じ憂いを戦後一貫して持ち続けた文学者でした。

ウクライナ戦争はまだ収束の兆しがありませんが、西側諸国が武器支援を継続しているのも、ゼレンスキー大統領始めウクライナ国民の「国体護持」の強固な信念があればこそだと言ってよいでしょう。日頃、国民も「国家」や「国柄」を意識することなく、ミサイルが我が国の上空を飛んでも政府が「遺憾砲」を打ち続けている我が国にとって「大義」とは何か。140周年を迎える今こそ、我々一人一人の国家観を再確認する意味でも三綱領の意義を振り返ってみるべきときだと思うのです。

S47卒 多久善郎 

温故知新という言葉がある様に、私達は過去を学ぶ事で現在の課題解決の糸口を見出す事が出来る。又、長年続いている老舗企業の秘訣は、「創業の精神」を忘れない事だと言う。

 済々黌は百四十年の歴史と伝統を誇る熊本県随一の学び舎である。それ故、私達は済々黌創業の精神を決して忘れてはならないと思う。その意味で佐々友房先生の残された遺文を確り学んで行く事が大切である。その場合、当時の時代状況を掴んだ上で、佐々先生の精神に迫って行く事が大切である。文芸評論家の小林秀雄は歴史文書を氷に譬えて、それを水にして飲める様にするには、「胸中の温気」が最も大切だと述べている。私達が済々黌の創業の精神を学ぶ時に、現代の価値観で「裁く」のでは無く、明治という時代、その激動の中に生きた志ある人物の生き様に深く共感を覚えてその事蹟を辿る事が肝要だと思う。

 三綱領の第一綱領は「正倫理 明大義」である。明治初期の西欧文明の圧倒的流入により、日本人の価値観(倫理)は大きく揺らいだ。その時代に佐々先生は「倫理(道徳)」を正しくして「大義」を明らかにして生きる人材を生み出す事を教育の眼目に掲げられた。「大義」とは何か、「義」は「我を羊(生け贄)」とする事の出来る、則ち、自らの生命さえも捧げる事の出来る価値の事である。その義に「大」が形容されている訳だから、大義とは、個々人の義を超える、社会や国家、天下に拘わるものである。明治から昭和初期の日本にとっては国家の統一と独立の実現が「大義」であった。

 しかし、我が国は敗戦し、七年間の占領後に一応主権を回復し、その後七十年の年月が流れている。今日の「大義」には、現代の我が国と世界が抱える様々な課題を解決して行かんと志す、大いなる勇気と行動に裏打ちされねばならない。その様な人材が輩出されて行く事を佐々先生や井芹先生を始め多くの先生方諸先輩達は期待していると思う。

済々黌140周年歴史紹介チーム 企画担当
眞藤隆次 昭和57年卒

創立140周年を前に、広報についてアイディア募集が行われました。

ご提案いただきましたOBの皆さま、ありがとうございました。

いくつも案が集まったのですが、コロナ禍で黌内に入るのも憚られる時期で実施が難しいという状況。そんな真っ只中に不肖私が「お前はぎゃんとが得意だろけん、ちょっと、け」とスタッフにひきずり込まれお声がけいただきました。

いま、熊本には魅力的な高校がいくつもあります。

以前よりも多様な方面に得意分野を伸ばす学校が増え、生徒たちも明るく元気に通っています。

また「文武両道」を掲げる学校は全国にたくさんあります。

そりゃ生徒元気で勉強してくれれば先生たちにとっては良かろうもん?

という気持ち、しちゃいますよね。

そんな現在にあって、済々黌はどうなのか。

現代社会のなかで済々黌を捉え直したらどういうものが見えてくるのか。

今回の試みはそんなところから始まりました。

そこで、

①140周年である。100周年でも150周年でもない。

②済々黌生やOBの力を結集した、まじめでしっかりした「アーカイブ」とか「あれもこれも」は、150周年に任せたらいいのではないか。

③100周年以前のことは『済々黌百年史』にビシッとまとめてあるので、そこはもう振り返らない。

④せっかくの140周年という中途半端さを活かして、ここは斜めに済々黌を見てみよう。

⑤斜めに見るからには済々黌正史的視点ではなく、済々黌とは何の関係もない人が取材するなどの読み物で客観性を持ったものを作り、私たち自身も再確認できるようにしてみよう。

⑥最近の済々黌らしさや三綱領の位置付けを、150周年に向けて整理しておこう。

⑦サイトを訪れて読んでいただきたいのは、主に「現役生徒」「これから済々黌を受けたいと考える中学生」「その親御さん」と、一般の方々。そして、OBの皆さん。

という要件を設定、制作したのがこの『黌辞苑(序)』です。

また、⑤に関連して、済々黌が本当に名門校であれば、むしろいろんな一流の方々と手を携えていくのが名門校出身者のあるべき姿ではないかと考えました。

そうしたこのサイトの制作には多くの方のご協力をいただきました。

「俺は友房のことはほとんど知らん」と言いながら明治の初期近代と佐々友房のことを1時間もお話しいただいた思想史家の渡辺京二さん。植木で西南戦争と佐々友房のことをお話しいただいた、ワクチン接種直前の時間をいただいた中原幹彦さんと美少年の話が印象的だった美濃口雅朗さん。皆さん他校のご出身です。

取材の際にお話を伺った鶴山黌長先生、平川教頭先生、座談会に生徒を引率いただいた黒川先生と林先生。生徒の佐藤さん、澤村くん、池田くん、中山さん、市原さん、松本くん。さらに事前調査で伺った際に資料館をご案内いただいたりした済々黌の事務室の皆様。

企画立案や取材の際にいろいろとご調整いただいた済々黌同窓会の中村俊雄幹事長(S44卒)、済々黌140周年歴史紹介チームの会議でご意見いただいた堀江伸さん(S47卒)とOB座談会にご参加いただいた吉永慎一さん(S48卒)、渡辺京二さんへのインタビューをことのほか喜んでいただいた白濱裕さん(S46卒)、探求を深める中で資料のご助言をいただいた多久善郎さん(S47卒)。会計実務を引き受けていただいた村上秀一郎さん(H10卒)、全てにわたってチームを引っ張っていただいたリーダーの成尾雅貴さん(S52卒)。

そして、済々黌とは何の関係もないのに快諾いただき、最後まで力を絞ってディレクションいただいた田中泰延さん、田中泰延さんにGOサインを出していただいた株式会社ひろのぶと取締役会の皆様。ものすごい熱量で佐々友房の漫画を描いていただいた樫木成香さん。県立熊本高校出身なのに最後の最後までライティングいただいたライターの井関麻子さん。取材を担当していただいたスタッフの皆さん。

そんな原稿をサイトに最後の最後の最後まで仕上げていただいた株式会社DESSIN(デッサン)の皆さま。

特に担当としてフロントに立っていただいた笠原桜さん(H29卒)。

そして済々黌同窓生としてコラム、イラストを描いていただいた皆さま。

皆さまの一人ひとりのお力で、済々黌の文化にまたひとついいものができました。

本当にありがとうございました。

言い忘れました。『黌辞苑(序)』の(序)は、済々黌にまつわる言葉を編んだ立派な『黌辞苑』が150周年にできることを見越して、その露払いとしての、前書きとしての位置付けということで入れた「(序)」です。

150周年記念広報の皆さま、何卒よろしくお願いいたします。

追記

本サイトを作成するにあたり参考とした書籍のうち以下の本は同窓会会館「多士会館」に置いていただきます。お好きな時に手に取っていただければ。

・『克堂佐佐先生遺稿』佐々克堂先生遺稿刊行會

・『戦袍日記』佐々友房著

・『熊本県人』渡辺京二著

・『近代の呪い』渡辺京二著

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